人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

帆船大好き

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見る船、乗る船、作る船〔5〕

(作る船・3号)ダンマルク号        完成1987年(昭和62年)4月

 

 娘二人の結婚祝い贈り物として製作したサンタ・マリア号とゴールデン・ハインド号の経験を基に木製帆船模型ビルダーの仲間入りを果たし、次作に挑戦するに際して目標を設定した。今後は親族の家庭と孫たちの小学校入学祝いの贈り物として製作して行くことを決め、最初に家内の実家に贈呈する事にして制作に着手した。

 選んだ船はダンマルク号で、言葉通り20世紀初めに活躍したデンマークの帆船である。近代船であるので形はカティサーク号に似てスマートであり、船首の彎曲が少ないので船体作成作業が比較的楽な模型船である。初心者にとっては都合がよい。

 キットは北欧系のリビングボード社の製品で用材が柔らかくて扱いやすいのが特徴であった。重厚さはないが塗装をしくじらなければ見栄えは良い船で比較的順調に作業が進行した。

 縮尺は75分の1、模型の全長90cmで、前2作より大きく新たな挑戦であった。

 下が1987年(昭和62年)4月25日に完成した時の写真である。第3作目にしてはよく出来たと自画自賛した。

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 製作に着手した時期ははっきりしないが左下の船体外板張り付け完成時の日付が1986年(昭和61年)4月24日になっているので、その月の早々に作り始めたものと思っている。 
 主な作業工程

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 船体を完成させ塗装を施し、マスト・ヤードを製作取付け、帆装を行った日付が1987年(昭和62年)4月12日で約1年間を要しているのは、どうも第2作目のゴールデン・ハインド号と併作していたのではないかと思っている。

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 帆はミシンで自作し糊で風の感じを出し、それから設計図に基づいてマスット・ヤ-ドにロープを張り巡らすリギングに苦労しつつ完成させた。吉日を選び妻と共に妻の実家に持参し、親族への贈呈シリーズが始まった。

 

 

       晴れて完成し贈呈したダンマルク号

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見る船、乗る船、作る船〔4〕

(作る船2号)ゴールデン・ハインド号、  完成 1986年9月13日

キット イマイ科学社製・縮尺50分の1、全長74cm、価格3万3千円 

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            完成したゴールデン・ハインド号

 木造帆船模型第2号ゴールデン・ハインド号は次女の結婚・新生活開始への餞として製作した。長女の結婚記念としてサンタ・マリア号を製作して僅か半年後であるが、引き続く我が家の慶事に対して門出する次女夫婦の幸せを念じて愛情をこめて制作した。  第1作で経験を経たもののまだまだ初心者ほやほやのモデラーであったが、限られた期間を意識して会社勤め終了後の夜の余暇時間をフル活用して製作に勤しんだ。今度のキットは国産の今井科学であったので図面の表示は良く分かったが、前回のような製作手引き書はなく細かい部品製作には苦労した。

 サンタ・マリア号を製作していた頃に日本各地に帆船模型製作の同好会ザ・ロープの会があるのを知り、展示会も開かれていたので勉強を兼ねて先輩諸氏の作った船を見学し、偶々会員の方と話をする内に自分も入会を決意して本格的に帆船船模型と対峙することにした。

 ゴールデン・ハインド号はそんな時期の製作で、自分にとっても将来の帆船模型製作者への夢を膨らませた転機の一隻であったと思っている。

 ゴールデン・ハインド号を選んだ理由も次女夫婦の新生活門出に拘った。
 16世紀イギリスの大航海者キャプテン・ドレイクがアフリカ南端の喜望峰を回り、インド洋航路を切り開いた時の乗船で大航海時代の先駆的名船である。

 製作はまだまだ手探りの段階を脱し得なかったが、それでも毎月1回開かれたロープの会の例会に出席し、技術的な手解きも受けながら自己流に応用して製作に没頭した。

 幸い大きな失敗をする事も無く完成に漕ぎつけ、目出度く結婚した新郎新婦と長女夫妻ほか母と妻と自分の計7人で自宅で完成祝賀パーティを開催した。

 なおゴールデン・ハインド号はこの後に開催されたロープの会の年度展示会から出展要請を受けたので、未熟を承知の上で参加して私の出展第1号の栄誉を勝ち取った。

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           ゴールデン・ハインド号の完成祝賀式

 

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     並んで出航日を待つサンタ・マリア号とゴールデン・ハインド号

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〔3〕サンタ・マリア号  (作る船1号・1986年4月24日完成)

 木製帆船模型に興味を覚え模型店のショー・ウインドウを眺め込み、参考の製作手引きを買い込んで準備を進め、意を決してサンタ・マリア号の模型キットを購入した。イタリアのアマテイ社製の初級者向けキットで値段は2万8千円であった。

 定年後における趣味の確立を本命とした決断であったが、モチベーションとしては先ず結婚する娘の門出への祝いとして自作の船を贈りたいと念じて制作に挑戦した。

 サンタ・マリア号を選んだのは初心者向きの易しい船であった事にもよるが、コロンブスが新大陸を発見した船であることから、人生の新生活を迎える娘夫婦への贈り物として相応しいと考えたのが本音であった。

 製作は全くの手探りで参考書と組み立て設計図の説明書きと簡単な工作道具を頼りに悪戦苦闘の上船体を作り上げ、塗装を施し、木材からマストやヤードを削り出して整形し、ロープ張りに挑戦して船の形が出来上がっていった。作業が進む度の感動と興奮を覚えながらも失敗の連続で、外板張りに使う細い木材の曲げ作業には何度も手こずって素材が無くなってしまい模型店に補充買いに行ったのを覚えている。初心者にとってこのあたりが一番難しい所で、ここで棒を折って諦めてしまう人も多いと聞いている。

 それでも持ち応え、先に進むことが出来たのは何としても娘夫婦の結婚式の贈り物を完成させたいという親の一念が後押しした結果であり、以後帆船模型製作愛好者に仲間入り出来たのも、この時の経験が心身に染み付いた結果であったと思い返している。

 帆船模型の多くはその名の通り風を受けた帆を広げている。最終段階の工程に属するが、ここでも見事に失敗した。サンタ・マリア号は初期大航海時代の船であるため帆装は簡単で大小4枚の横帆と一枚の三角縦帆(ミズン)から成っている。それぞれ帆布を印刷生地から切り出し、周囲をミシン整形した後にメインセール(主帆)とフォア・セイル(前帆)に十字架マークを染め込んで終了する。十字架マークは輪郭されていて、ろうけつ染で色付けするように指示されている。

 蠟と赤い染料を買って来て試し染めを行いろうけつ染の何たるかを理解したものの1枚目のメインセイルで失敗した。蠟固めがしっかりしていなかったため染料が染み出し輪郭がぼけて哀れな十字架模様が現われた。2枚目のフォアセイルは奇麗に染め上がったあもののメインマストが失敗したのが誠に残念であった。

 それでもサンタ・マリア号は航海には影響しない。そんな気持ちで予定日までに作り上げ新婚の娘夫婦と、続いて婚約中の次女カップルを招いて進水贈呈パーティーを自宅で盛大に挙行した。

         下はその時の写真である。

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       完成して暫く自宅に飾ってあったサンタ・マリア号

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 これが私の木製帆船模型製作の第1号であり、以後20年間にわたる帆船とのお付き合いの原点となった。



 

 



 

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【2】練習帆船・日本丸見学  場所 愛知県高浜市・高浜港

       昭和60年(1985年)11月15日

 

 齢50歳を越えぼつぼつ定年後の趣味について考え出していた頃、日経ビジネスのコラム記事「私の趣味」で見た帆船模型製作に興味を覚え、難しそうであるが完成後の姿の美しさ、豪華さ、優雅さに魅惑を感じ、手始めに初級者用のキットを購入して製作を開始した。

 偶々長女が結婚し新生活を始めた時期であったため、完成したら門出の祝いに進呈しようと考えて、手引書片手に手探りで挑戦し始めていた。

 そんな折に新聞かテレビかどちらであったか記憶にないが、運輸省の練習帆船・日本丸が愛知県の高浜港に寄港し一般公開すというニュースに接し、初めて見学に訪れた。

 当日は母と家内の3人連れで車で高浜市を訪れ、港に停泊していた日本丸の雄姿に感動し、美しい船体は勿論の事、高いマストや張り巡らされたロープの複雑さに心を踊らされた思いが残っている。

 自分が手掛けている帆船模型サンタ・マリア号とは規模・性能・構造等全く異なるが製作の参考になること間違いなしと意気込んで帰ったのを覚えている。以来近県の港に来航する帆船動向に関心を持ちつつ、作る船との両輪を目指して帆船ファンへの仲間入りが始まった。

                     

 

 

 

 

 

 

                       愛知県高浜港に寄港した日本丸見学

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帆船大好き!見る船・乗る船・作る船

【1】幼児体験 軍艦那智 乗艦拝観見学

  昭和10年(1935)5月26日  場所 清水港

 年齢 昭和7年11月生まれのため当時2歳6ケ月   父に連れられて行った。

     生まれて初めての海と船に接した体験で、鮮明に記憶に残している。

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      父が手帳に残した那智拝観記念スタンプ

    記憶にあるのは波止場からランチに乗り白波を蹴って軍艦に向かった事。軍艦に乗り移る時にタラップの下に海が見えて少し怖かった事。乗艦した時に甲板がとても広く大きいなと感じた事。士官と水兵が数人いてカッコ良いと思った事。などである。

 軍艦那智日本海軍の有力重巡洋艦で艦暦は上の表の通りであるが、昭和10年5月25日に静岡県清水港に入港停泊した。

 偶々私の父が国鉄清水港駅貨物係の任にあり、物資補充等の業務に関係して10月25日に訪問乗艦した。(私の推測である)

 上は亡き父が昭和10年に使っていた手帳の余白欄に残されて乗艦記念スタンプである。上下二つ押されており上が5月25日で下が翌5月26日である。

 この二つのスタンプ日付から父は2回訪れており、初回は業務訪問、2回目は家族同伴見学訪問で、私が連れていかれたのは2回目の5月26日であったと思っている。

 記念スタンプは同一ページに2種類押されているが、26日の方が少し不鮮明であるが日付に疑いは生じないので、私は二日目に連れて行ってもらったと思っている。

 当時の軍艦は軍機密の塊のような存在で一般人はめったに乗艦できなかったので誠に貴重な体験をしたものだと思っている。見学ではなく〈拝観〉というスタンプが強烈に印象付けられる私の〝見る船・乗る船〟初体験であった。

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    重巡洋艦那智の主砲と艦橋

帆船大好き!見る船・乗る船・作る船

流郷松三郎の残思録【シリーズ・2】

 「帆船大好き!見る船・乗る船・作る船」と題して船との関わりを振り返り記録を辿りたい。帆船に興味を持ち出したのは50歳を過ぎた頃で、定年後の趣味を考える中で木造帆船模型の存在を知り、美しい造形と大航海時代の歴史に魅力を感じたのが始まりであった。それから35年の月日が過ぎ去る中で、現役時代も退職後の一時期も帆船との関わりを持ち続け生活の重要な部分を占めて今日を迎えている。

 主体は大航海時代を中心にして世界の海を踏破した帆船の模型作りであったが、付随して現存する帆船への訪問見学と乗船体験、更には航海体験に至る人生経験を回想するのが目的である。

 「見る船」は国内外の港に保存係留されている歴史的帆船と日本の各港に記念来航する世界の現存・現役帆船の見学並びに乗船体験で、地元への来航を除けば国内・海外への旅行を伴った日常活動である。

 「乗る船」は大航海時代のクルージング体験願望の実現で、外洋航海のみを回顧するので回数はごく限られている。

 「作る船」は木造帆船模型の製作記録で製作動機と製作過程を振り返りながらブログ上で全作品を継続掲載し展示会を開きたい。

 以上の基本方針で次回から船との関わりの人生記録を披露する。

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 我が家の書斎を飾る自作帆船模型・ヴィクトリー号(イギリス)とダンマルク号(デンマーク

 

1970年の秋

初の海外旅行【48】帰国・香港から羽田空港・日本帰着

  1970年11月15日(日)いよいよ日本へ帰国する日がやって来た。

 先月10月10日(土)に羽田空港を飛び立ち、訪問した国と地域は12ヶ国、ユーラシア大陸を時計反対廻りに一周する36日間の大旅行を無事成し遂げていよいよ今夜懐かしの日本に帰着する。

 午前中ゆっくりと支度して、13時30分に再び日本航空JL734便のDC-8機に搭乗して香港啓徳空港を飛び立った。

 下の写真は離陸直後に窓から眺めた香港の街と湾内の風景である。

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 11月15日(日)13時半過ぎ、香港より日本へ
 香港空港では免税品売店で洋酒3本と煙草2カートンを購入した。洋酒はカミュのブランディ・ナポレオンで1本は自分用であるが2本は上司へのお土産で、この頃の海外旅行での必買品であった。煙草も同様で自分では喫わないもののお礼挨拶の際の当座のお土産として、これまた必需品で銘柄が珍重された。

 帰国挨拶の順番等を考慮しつつ、家族への土産も確認しつつ、およそ4時間のフライトで日本上空に到達したが、羽田に近付き高度を下げるにつれて天候が悪くなり強い風雨が機外に押し寄せた。飛行機も揺れ出し着陸態勢に入る頃はしっかりベルトを締め付け主翼の揺れに恐怖を感じながら祈る気持ちで待機した。

   豪雨がたたきつける滑走路が直下に迫り、豪然と制動しながら着陸に成功したと直感した時、緊迫した静寂が乗客全員の拍手で破られて機内は歓喜と称賛に一変した。
 ゆっくりと進む滑走路から窓越しに見えた羽田空港ビルのネオンサインが雨に靄る中、日本に無事帰って来たという実感が体全体を包み込み、待ち受ける家族の顔が脳裏に浮かんできた。

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到着ロビーで待つ家族と出迎えの友人    11月15日(日)午後7時ころ帰国 

 会社・労働組合双方から大勢の方々が新幹線で上京し羽田空港国際線到着ロビーで家族と一緒に出迎えて下さった。上はその時のスナップ写真である。右肩に免税の洋酒と煙草を入れたショルダーを懸け、右手にベートーベンの交響曲全集レコードとパリ・モンマルトルで手配した土産用絵画2枚を下げ、左手のスーツケースには各地で整えた土産や会議資料が詰め込まれていたが、それのも増して訪れたヨーロッパ諸国で見聞と体験を積んで来た自分が人生の新しい扉の前に立っている事を痛感した。

  1970年(昭和45年)秋、人生初のヨーロッパ旅行が無事終了した。