人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋【1】

初の海外旅行

50年前の1970年(昭和45年)秋、私の人生に大きな転機が訪れた。当時37歳、サラリーマンとして社業に励む中、労働組合の活動にも関心が湧き、執行委員として生活水準の向上を目指し日夜エネルギーの発散に明け暮れていた。

勤め先は大手私鉄を親会社に持つ流通企業で社員約2000人、親会社の労働組合は総評系中核単産の主要組合として春闘時は賃上げ闘争の先頭に立つ存在であったが、子会社労働組合は業種柄無所属の穏健派で且つ典型的な御用組合であった。

いわゆる総評系、全労系などの上部団体には加入せず、業界友好単組の緩やかな連絡協議会を結成する中で情報交換をするのが主な活動であり、職場では中間管理職との2足の草鞋という異様な勤務形態が許されていた。

そんな組合活動の中で友好単組の指導者らとの間に人間関係が形成され、人脈を通じた中で当時労使関係の調整機関として存在した日本生産性本部が派遣する海外視察団の一員に推薦され40日間に亘る西ヨーロッパ11ヶ国歴訪視察のチャンスが到来した。