人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋【18】

初の海外旅行【18】フランス(1)パリに到着

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     パリのスプーン(エッフェル塔

 足掛け6日間のロンドン滞在を経て10月22日木曜日午前11時30分にヒースロー空港からパリに向かって飛び立った。搭乗した瞬間から機内の雰囲気が違うのに気が付いたが飛行機はエールフランスのAF811便でスチィワーデスの容姿が一変し、乗客の多くもフランス人の模様で既に機内はフランスのムードに包まれていた。

 定刻に離陸した後にアナウンスされた機長の挨拶もフランス語・英語の順で飛行機の中がフランスの分身であることに気が付いた。

 ドーバー海峡を越え大陸内部のパリまで1時間であるが、例によって機内食を忙しく食べ終え、オルリー空港からタクシーで市内中心部にあるホテルに到着した。
 場所はマドレーヌ寺院から少しセーヌ川寄りに下がった下町の一角で、通りに面している1階がフロントとなっている中規模なホテルで名前はブルガンディと云った。

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  右側の小路を入ったところにホテル・ブルガンディがあった。

 ロンドンで泊まった木賃宿と較べれば数段上質であるが、高級ホテルではなく、一泊10ドルの範囲内で宿泊できる庶民向きのホテルであった。

 パリは3泊4日の滞在であるが公式日程は明23日午後の一回限りで比較的余裕のあるスケジュールが組まれ、名所旧跡も多いことから観光への期待も多かった。

 加えて大切なのがお土産の調達で、ヨーロッパのショウ・ウィンドウとも云われているパリでの購入予定も多かった。私も会社関係・労働組合仲間、家族親戚など多くの方々から餞別を戴いて来たことから、それぞれの皆さんに見合うお土産をパリで揃える心積りでやって来た。そのための軍資金はロンドンのヒースロー空港でフランに両替し、準備万端整えてのホテル入りであった。仲間の皆さんも同様でホテルにチェックインし小休止後に参参五五かたまり、それぞれ購入リストを片手に街に繰り出した。

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  フランス通貨・2分の1フラン(約32円) 1963年発行

 取り敢えずマドレーヌ寺院に向けて歩きだし、途中賑やかな通りに差し掛かたところがサント・ノレ通りと分かり、専門店や土産物店が並んでいた。所々に〝日本人店員居ります〟の張り札があり、緊張感も解けて買いものに専心した。

 私には一つ買い求めなければならない品物があった。日頃何かとお世話になっていた社長秘書の女性からパリで〝ジャン・パトウの黒を買って来て!〟と云われて餞別を貰って来た。香水の知識は無いが請けた約束は果たさなければ期待を裏切ることになる。日本人店員がいる店で聞いたらすぐに分り肩の荷を下ろしたあと、お世話になった方々の人数を勘定しながら土産品を各種購入した。

 文頭に掲出したスプーンもこの時に購入した。これが私のパリ記念である。ご覧のようにパリのシンボルであるエッフェル塔を頭部に嵌め込んでいるが、素材も仕上げも低俗で単なる観光土産品である。

 

   芸術の都パリの土産としては格落ちであったが、1都市1本と決めて最初に見付けた時に忘れずに買う事にしていたのでやむを得ない結果であったと思っている。

 夕食はフランス料理かと期待したが、左にあらず、先輩諸氏の希望優先で今夜も中華と決まり、下町に繰り出してパリのレストラン街に溶け込んだ。ヨーロッパの主要都市では何処へ行っても中華料理には事欠かず、日本人旅行者が気楽に入れるのだけは大変便利であり、世界の三大料理の名に相応しくメニューも味も雰囲気も良好であった。

 アルコールも入ったところでピガール広場まで足を延ばし、ムーランルージュ周辺を探訪した後ちょっと怪しげなショウを見てからホテルに帰着した。