人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋【22】

初の海外旅行【22】ドイツ訪問(1)デュッセルドルフ・その1

 1970年10月25日・日曜日15時30分、パリ・オルリー空港を離陸した。
搭乗機は西ドイツ・ルフトハンザ航空LH261便で機内の雰囲気ががらりと一変した。黄色い制服のスチュワーデスの動作が機敏で規律が保たれアナウンスのドイツ語がそれに輪をかけた。これからドイツに向かうのだという気分が乗客にも伝わってきた。

 滞空一時間、16時30分にドイツ最初の訪問地デュッセルドルフ空港に着陸した。

 下は翌26日に市内の土産物店で購入したデュッセルドルフ市のスプーンである。
碇を持つライオンマークはライン河の船運で栄えるデュッセルドルフ市の紋章である。

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       デュッセルドルフのスプーン 

 

 

 西ドイツは今回の西ヨーロッパ視察旅行の核心地区で米・英・仏連合国管理下の西ベルリン市を含めて足掛け8日間滞在する。公式会議最初の訪問地がライン河畔のデュッセルドルフ市であったが、ホテルが取れず隣接するエッセン市が宿泊地となっていた。

 ヨーロッパ到着以来好天に恵まれていたが、ドイツ入りであいにくの雨に見舞われ、空港から道中の景色は靄って望めなかったが、道路整備の素晴らしさには感動した。
下の写真はその時に写したアウトバーンのインター周辺景色で料金所は見当たらない。

 日本では1965年(昭和40年)に名神高速道路が全通し、1968年には東名高速道路も完成して高速自動車道路建設の全国展開が開始されていたが、すべて有料道路であり、50年を経た現在も変わりない。

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空港からエッセン市に向かうアウトバーンの風景(1970年10月25日)

 エッセン市はデュッセルドルフの北東30キロほどに位置する街で宿泊だけという気持ちから詳しく知らないままで過ごしたが、ヴェライン・サウス・ホスピッツというホテル名と夕食に赴いた豪華なドイツ料理だけを覚えている。

 中華料理でなかったのが幸いで待望の高級レストランでの会食となった。衆議一決で決まったメニューはドーバーのヒラメ料理であった。白ワインと前菜で寛ぐうちにウエイターが持参したのは50センチ以上もある大きな銀皿1枚で、巨大なヒラメのムニエルが1尾そのまま載せられていた。あまりの大きさと小分けの芸当に目を見張ったが、日本料理では味わえないヨーロッパの食文化の一端に触れた思いで美味しく戴いた。

 ドーバーのヒラメは英仏間のドーバー海峡で獲れる平目で、フランス料理のみならず世界各地で供される高級食材で、この時以来私の数少ないお好みメニューとして定着した。後年アメリカでもシンガポールでもレストランに入って英語のメニューを出される時にDOVE’S SOLEという活字を見付けてオーダーするのが隠し技となった次第である。

 翌26日月曜日も雨であった。公式会議が行われるデュッセルドルフ市まではドイツ国鉄を利用した。通勤時間帯を外れていたため座席が空いており三々五々分かれてドイツの列車移動を体験した。下はその時の車内風景である。荷物棚に特徴がある他は日本の在来線車両とあまり変わりはないようであった。 

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エッセンからデュッセルドルフに向かう車内風景(1970年10月26日)