人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋【24】

初の海外旅行【24】ドイツ訪問(3) ボン・その1エーベルト財団研究所

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ライン河岸から眺める西ドイツ仮首都ボンの遠景とエーベルト財団研究所訪問記念写真

 10月27日・火曜日朝、エッセンのホテルからマイクロバスをチャーターしボン市に向けて出発した。ボン市デュッセルドルフから南およそ60キロのライン河右岸に位置する中都市で楽聖ベートーベンの生誕地として広く知られているが、第2次大戦後の東西ドイツ分裂時代には西ドイツの仮の首都として首相府をはじめ各省庁と国会議事堂などの政府機関が置かれており、各国大使館や国際機関の多くも集中した西ドイツの政治の中心地であった。

 我々が公式訪問したエーベルト財団研究所はドイツ社会民主党党首でドイツ国ヴァイマル共和国)初代大統領フリードリヒ・エーベルト(1871~1925)の基金で設立され、ドイツ国内問題は勿論の事、国際政治、経済、労働問題など幅広い分野で研究活動を展開していた国際研究機関であった。

 会議では環境問題や労使問題についても意見交換が行われたが、東西分裂状態に陥っているドイツの現状説明が克明に説明され、統一ドイツ実現への念願が切々と語られたのが心に突き刺さる思いであった。

 その上で日本の皆さんに〝是非東ベルリンの現状を見て戴きたい!〟西ドイツ人は東ベルリンへ入ることは出来ないが、外国人で日本人なら一時入国が可能である。通常外国人が観光のために東ベルリンに入るには観光バス利用が一般的であるが、その場合はチャーリング・ポイントという検閲所で検査を受けて入国するが、バスから降りれるのは買い物1ヶ所と主要な観光地周辺のみに限られている。

 

 

 但し、外国人の場合、地下鉄を利用して入国すれば検問を受けた後に一日ビザが発給されるので、自由に市内を歩き、見学・買い物が可能である。是非地下鉄で東ベルリンに入りソ連支配下社会主義国東ドイツの首都ベルリンの情況を歩いて肌に感じてもらいたいと訴えるように推薦してくれた。

 ベルリンは第2次大戦後のドイツ東西分割で東ドイツ圏内に位置しているが、戦勝国であるソ連アメリカ、イギリス、フランスの西側連合国3国で区分管理する特別都市となっており、ソ連地区が東ベルリン市、西側3国地区が西ベルリン市であった。

 今回我々の西ヨーロッパ視察旅行では公式訪問ではないが、鉄のカーテンの奥で陸の孤島となった西ベルリン市を特別に加えて分割統治の実情を見聞するスケジュールを組んでいた。エーベルト研究所の推薦を真剣に受け止めて地下鉄による徒歩入国を実現する決意を固めてボンでの公式会議を終了した。

 バスでライン河畔に到着し、中華料理で寛いだが料理待ちの時間を利用してライン河から遠望するボンの市街地を撮影した。

 文頭掲載がその時の写真で中央に立つ高層ビルが当時の西ドイツ国会議事堂と聞いたように記憶している。

 ボンと云えばベートーベンである。団員中クラシック音楽愛好者は私一人であったがそこは拘らず昼食後は衆議一決でベートーベンハウスの見学に直行した。私にとっては千載一遇のチャンス到来で、素晴らしき収穫を得たボン訪問であったので詳細を次号以下に纏めて記述する。

 この日のスケジュールはホテルに帰らず、デュッセルドルフ発の夜便で西ベルリン行きとなっていた。 帰路はライン河に沿って北上したが、飛行機搭乗まで時間に余裕があるため途中でケルン市に立ち寄り、河畔に聳え立つケルン大聖堂を見学した。

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ケルン大聖堂の外観と神々しい雰囲気の内陣の様子

 ケルン大聖堂はドイツ最大のゴシック式教会で高さ157メートル、奥行き145メートル、幅は86メートルである。1248年に着工し1880年に完成した。633年の歳月をかけて建築された歴史的

 

 

建造物で世界遺産となっている。巨大な外観と天井の高い内陣の神々しさに圧倒されて見学を終了したが、近年周辺環境の汚染劣化が指摘され整備が急務であるというニュースに接し寂しさを感じている。