人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋【27】

初の海外旅行【27】ドイツ訪問(6)東西ベルリン市・その2

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西側地区から写したブランデンブルク門(1970年10月29日)

 1970年10月28日水曜日、東西冷戦の象徴都市ベルリンは雲が深く垂れ込み今にも雨が降りそうな朝を迎えていた。昨夜到着後の打ち合わせで初日の今日に東ベルリン行きを決定し気持ちを整えていた。我々が選んだ入国方法は地下鉄利用であった。

 先に述べたが1949年(昭和24年)に東西ドイツが分裂建国されベルリン市は西側地区を抱えたまま東ドイツ国内に陸の孤島として残された。その上で西ベルリン地区への逃亡を恐れた東ドイツ当局が1961年に至り突如ベルリン市の東西境界線に壁を設置して市民の通行を完全に遮断した。西ベルリン市民は勿論の事、西ドイツ国民の東東ベルリン地区への立ち入りは不可能となり、交通路も閉ざされた。

 但し第三国人の入国は国際法に則れば可能である。その中で東西ベルリン市の場合、東西ドイツの緊張関係から東側から西側への入国は絶対駄目であったが、西側から東側への観光客の入国については制限付きながら特別なルートと方式で許されたいた。

 本シリーズ【24】で簡単に紹介しているが、一つは専用観光バス利用による方式で、こちらはベルリンの壁の中間地点に設けられた国境検問所チャーリー・ポイントで検問を受け、バス乗車のまま東ベルリ

 

ン地区に進入して車内から市内を見物し、途中土産物の商店と主要観光地でのみ下車が許される入国方法である。

 今一つが地下鉄利用による入国である。ベルリン市が東西に分割統治された際、地上交通は遮断されたが、西ベルリン地区始発・終着で途中東ベルリンの地下を通る地下鉄は原則通過することだけが許された。東ベルリン地区内に設けられていた駅は廃墟とし東ドイツ兵が警備した。但し特殊な例外として路線が交差する乗換駅では厳重な乗換専用通路を設けて乗客の乗り換えのみを許可したが、その際に当該駅に国境検問所を設け東ドイツに入出国する外国人に対処した。

 東ベルリンの中心地であるウンターリンデン通り(文頭写真のブランデンブルグ門に面している)にほど近いフリードリヒ・シュトラッセ駅が特殊駅で西ベルリンのUバーン(地下鉄)とSバーン(都市鉄道)が交差する乗換駅であり、地上には国境検問所が設置されていた。

 下に1970年当時のフリードリヒ・シュトラッセ駅を中心とした東西ベルリン地下鉄路線図(一部関係地区のみ)を掲載した。

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1970年・東西分割統治下のベルリン市地下鉄路線図(一部)

 地図上の濃いイエローが西ベルリン地区で、右側薄いイエローが東ベルリン地区である。中央やや下、緑色のSバーンと藍色のU6が交差する駅がフリードリヒ・シュトラッセ駅である。すぐ左にはSバーンのウンター・デン・リンデン駅があるが、フリードリヒ・シュトラッセ駅を除き東ベルリン地区内にあるすべての駅には廃墟(乗降禁止)を示す白線マークが表示されている。

 ボン市エーベルト研究所担当者が是非にと勧めてくれたのがこのフリードリヒ・シュトラッセ駅経由の入国で、新たに加わったドイツ語専用通訳(西ドイツ在住日本人)をを含め11人の団員全員心を引き締め、ホテル近辺のUバーン乗り場から壁の下を通り抜け共産圏に向けて発進した。

    途中数か所で徐行するたびに廃墟と化した無人駅を通過した。東独警備兵の姿は見なかったが不気味な感じを持ちながら見過ごすうちに目的地フリードリヒ・シュトラッセ駅に到着した。かなりの人員が降車したように感じたが、地上に通ずる階段を登ったのは我々を含めて少数であったと記憶している。

 

 

 正規の手続きを経ての入国であるから恐怖感は無かったが、東西冷戦が熾烈を極めていた時代の共産圏、中でも東西ベルリンの国境検問という意識が若干の緊張感を齎せ簡単な質問にも真剣に回答して無事一日入国のビザを得た。

 その際に入国要件である通貨の交換が強制的に行われ、100西ドイツマルクを提出し、100東ドイツマルクを受け取った。出国時に余っても再交換出来ないので使い切ることが前提である。当然のことながら双方の通貨価値には雲泥の差が存在した。通貨は双方ともマルクで補助貨幣はペニッヒである。実勢がどの程度であったのか分からなかったが、東ドイツ側はドル交換で固定レートが安定している西ドイツマルクを入国者から強制的に徴収することを貴重な外貨獲得の手段としていた。

 下は東ベルリンで釣銭として残ったペニッヒと西ドイツのペニッヒで同じ単位であるが価値には大きな格差が存在した。

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   東ドイツの10ペニッヒ硬貨       西ドイツの2ペニッヒ硬貨

 東独兵監視下の検問所で入国審査を受け無事通過して地上に出た。
 眼前に広がる光景に空虚な寂寥感を覚え、周囲に警戒感を配りつつ遠景を撮影した。

 下の写真が東ベルリン側から眺めた雨に煙るブランデンブルグ広場である。

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  雨に煙るブランデンブルグ広場の光景  1970年10月28日午前写す