人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋

初の海外旅行【31】ドイツ訪問(10)フランクフルトその2

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フランクフルトで2泊したホテル全景・周囲の環境が素晴らしかった。(絵ハガキ

1970年10月30日(金)午前・午後と31日(土)午前中にかけ公式行事が3回設定されており市内各地を移動した。市電・郊外電車・徒歩と精力的に動き回り役所・公共施設で会議・見学・会食と訪問団本来の目的に没入した。

 出掛けたのはフランクフルト市ごみ焼却場、同下水処理場などの現場施設と金属労働連合(IGメタル)本部会館で、いずれの箇所でも社内食堂でのランチを提供され働く人々との交流が深まった。

 ドイツでの公式訪問はフランクフルトで終了したが各都市・各組織を通じて問題・課題に対処するドイツ人の真面目な態度に感銘を受ける事が多かった。

 勤勉性の面でも日本人と通ずる事を感じ、第2次大戦の敗戦国同士という感情も加わって親愛度が増したのを覚えている。

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IGメタル(金属労働連合)との真剣な会議(1970年10月31日(土)午前)

 1970年10月31日(土)午後3時半、ルフトハンザ航空勤務のK嬢と約束したデートの時間がやって来た。公式行事をすべて終了した安堵感で団員一同市内見学タイムとなったが、私一人は単独行動を願って偶々午前中に訪れたIGメタルの程近くにあるルフトハンザ航空タウンオフィスに赴いた。

 彼女が先に来ていて事務所の中から出て来たような気がしているが、今度は平服の日本女性の姿で再び目の前に現れた。

 彼女が会社を辞めドイツに移住する時には全然関知していなかったので、時を経てヨーロッパの地で偶然にも会う事など夢にも思っていなかったが、映画や小説にあるようシーンが自分にもあるのだなという面映ゆい感情に撃たれつつ再会を祝し合ったた記憶が残っている。彼女と私はクラシック音楽仲間同士という間柄で仕事上の関係は存在しなかった。

 私は昭和30年(1955)頃に全国規模に結成・展開した勤労者音楽協議会労音)活動に積極的に参加し、会社内にサークルを作り若手社員を勧誘して隔月一回開かれる例会(音楽演奏会)を楽しんだ。会社も従業員の情操教育の一環として理解を示していたので入会者が多く、一時は200人を超す大サークルに成長した。会費の徴収をはじめ入場券の配布などの手間仕事を職場ごとの代表者に委ねたが、K嬢もその一人として支援して呉れた音楽愛好家であった。一緒に聴くチャンスもないまま退職されてしまい、その後は風の頼りでウィーンフィルに憧れてヨーロッパに移住したと聞いていた。そんな彼女との再会はベートーベンやモーツアルトが天から与えて呉れた爽やかな恵みのプレゼントであると心から喜び感謝した。

 与えられた時間を大切に思いながら彼女の案内で市内のメイン道路や公園を散策し名所を紹介され由緒ある名店で休息歓談した。

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フランクフルトの名所ハウプト・ヴァッヘ広場(中央赤い建物がカフェ・ハウプト・ヴァッヘ)

 海外に移住して久しい彼女にとって昔の職場や同僚の消息は関心事であり、、一方の私はドイツでの生活や本場ヨーロッパの音楽情報は話題新鮮であった。次々に話題が飛び交い散策中も景色が眼に入らなかったがオペラ劇場の建物、ゲーテハウスとゲーテ像、それに大聖堂を案内してもらったをうろ覚えに残っている。

 散策して出て来た所が上の写真のハウプト・ヴァッヘ広場で 中央赤い建物のカフェ・ハウプト・ヴァッヘのテラス・テーブルでティータイムを楽しんだ。日本でもなじみのユーハイムが経営する店で美味しいケーキと紅茶で時間を忘れて歓談した。

 気が付くと時計は午後7時を指していた。K嬢は明日は早朝6時からの勤務のため積もる話を切り上げてロマンチックな海外デートを終了した。カイザー大通りをフランクフルト中央駅まで戻ったところで彼女に駅構内の理髪店へ連れて行ってもらいそこでお別れとなったが、予期していなかっただけに貴重な再会に音楽のきずなを痛感した。

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上はフランクフルト中央駅前景である。

K嬢と別れ調髪したあとタクシーてホテルに一人で帰還した。