人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋【17】

初の海外旅行【17】イギリス訪問(5) ロイヤル・フェスティバルホール演奏会

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 現在のロイヤル・フェスティバルホール前景

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     名指揮者ラファエル・クーベリック

 私は大のクラシック音楽ファンで今回のヨーロッパ視察旅行参加が決まった時から本場ヨーロッパで一流の演奏会やオペラ公演鑑賞を密かに念願し出会いを求めていた。

 団体行動のため自由な時間は少ないが、チャンスがあれば逃さないように気を使う中でロンドン到着3日目の19日に幸運の女神が眼の前に現れた。

 

 当日午前中に英国工業連盟との会議を終えテムズ河の対岸を徒歩でウオータールー駅まで移動中に昼食の時間となり、とある建物に立ち寄った。広いホールの中の食堂でセルフサービスのランチを済ませたが、何か虫の知らせを感じ、偶々付き添って呉れていたガイドの女性にここは何処かと場所を聞いて驚いた。

 そこはイギリス・ロンドンにおけるクラシック音楽の殿堂ロイヤル・フェスティバルホールのレストランであった。

 胸がときめくと同時に演奏会があれば是非聴きたいと話してチケットボックスに案内してもらい、公演日程を確認したら、何と今夜がラファエル・クーベリック指揮によるバイエルン放送交響楽団の演奏会であった。曲目を見るとハイドン交響曲第101番「時計」とマーラー交響曲第1番「巨人」という夢のようなプログラムであった。

 又とない機会が目前に現れて躊躇することなくチケット購入を即断した。団員の仲間諸氏に同行を誘ったが趣味が合致せず、単身での夜の音楽会鑑賞が決定した。

 日本出発以来、団員の単独行動は初めてであるが、団長はじめ仲間の皆さんのご理解を得てロイヤル・フェスティバルホールという最高の会場で日本ではまだ中々聴けないマーラー交響曲をヨーロッパ一流の指揮者・楽団の演奏で聴くことが出来るのを大いに喜んだ。

 ところで私にはもう一つ密かな想いが心の中に秘められていた。 夜のウォータールー・ブリッジを歩いて渡りたいという単純にして且つロマンチックな夢である。

 夢の根源は20年前の高校3年生の時に観て感動した映画「哀愁」への憧れである。

 1940年(昭和15年)の製作で、日本では1949年(昭和24年)に公開されたアメリカ映画であるが原題がWATERLOO・BRIDGEであった。 言うまでもないがWATERLOO・BRIDGEは1815年のワーテルローの戦いでナポレオン軍に勝利した記念に名付けられたロンドンきっての名橋で、印象派の巨匠モネが描いた同名の連作絵画でも世界的に知られている。

  映画はロバート・テイラーの扮する陸軍将校とヴィヴィアン・リーが演ずるバレーダンサーとの恋物語であるが、筋書きも然ることながら情景や主演二人の演技が素晴らしく、特にヴィヴィアン・リーの美貌には思春期に差し掛かったばかりの少年さえも心を奪われた。

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   不滅の名画「哀愁」のDVD

 

 中でも強烈であったのが映画のスタートで登場する夜のウォータールー・ブリッジでの回想シーンで、モンタージュ技法を巧みに使った構成は映画のストーリーを予測させる十分な効果を発揮するるとともに、観客の頭脳に名画の残像を植え付けた。

 ヨーロッパ視察旅行でロンドン訪問が決まり、スケジュールにも余裕がありそうな感じを抱く中で出来ればウォータールー・ブリッジを歩いて渡りたいと思い続けていた。

 今夜のバイエルン放送交響楽団演奏会が開かれるロイヤル・フェスティバルホールはウォータールー・ブリッジを渡ったテムズ河の右岸にある。願ってもないチャンス到来で一人であるがウォータールー・ブリッジを歩いて渡り、ロイヤル・フェスティバルホールに行くことを決断した。

 午後5時前にトラファルガー広場で仲間と別れ、頭に詰め込んだ地図を頼りに川沿いと思しき地区を東北に進み途中で見付けた小レストランで夕食をしたためたあと道を右に折れたら川の畔で橋が現われた。暗い中で対岸を望むと昼間立ち寄ったフェスティバルホールの建物が見えている。紛れもなくウォータールー・ブリッジに辿り着いたことを確認し、そこで立ち止まって、しばし「哀愁」のシーンを回想した。

 全長365メートルでアーチ橋のウォータールー・ブリッジは夜のとばりに溶け込んで街灯の灯りを水面に落していたが、思いが叶った満足感が長さも寒さも感じさせずに渡り終え、待望のフェスティバルホールに到着したのを覚えている。

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 ウォータールー・ブリッジ(19日ランチ終了後、右岸より対岸市街地方面を写す)

 これからが本番のクラシック演奏会である。日本出発の時には全く予期していなかったので初めて海外で聴くオーケストラ演奏会への期待は表現しがたく、ただ嬉しさが先行した。偶然の巡り合わせで手にしたチケットを手に自席に辿り着き、気を落ち着かせつつ場内を見回すと3000人を超える聴衆がぎっしりと開演を待つ会場の雰囲気に圧倒され緊張感が前後左右から迫ってきた。自分の他に日本人を1人も確認することが出来ない中で、プログラム売りの女性係員が通り過ぎたが声をかける余裕がなく買いそびれたのを今でも残念に思っている。

 

 指揮者のラファエル・クーベリックは日本でもレコードを通じてよく知られており、彼の率いるバイエルン放送交響楽団は当時ベルリン・フィルに次ぐドイツ伝統のオーケストラとして世界のクラシック音楽ファンに広く認知されていた。

 定刻となり楽員が席についた後、最後にコンサート・マスターが現われるオープニング風景に新鮮さを覚えた直後、指揮者クーベリックが颯爽と登場し、ハイドン交響曲第101番「時計」の演奏が始まった。

 交響曲の父ハイドンが晩年にロンドンで作曲した12曲の交響曲の中の1曲で第2楽章がメトロノームのように時計のリズムで始まるので有名である。 

 古典派の名曲として落ち着いた楽想が広く愛されているが、プログラム後半に演奏される現代感覚豊かなマーラー交響曲の前段にロンドンゆかりの「時計」を演奏するのはクーベリックの配慮と受け止めて生で聴く海外オーケストラの演奏に聴き入った。

 休憩を挟んでプログラム・メインのマーラー作曲交響曲第1番二長調「巨人」の演奏が始まり、フェスティバルホールは現代の鋭い音響で満たされた。弦楽器の柔らかい音色に我を忘れて没入しかければ、空を割く金管の強奏に全身が硬直して背筋にしびれが走るなどの感激を覚えつつ1時間に及ぶ大曲を聴き終えた。感無量の気持ちが全身にみなぎり本場ヨーロッパにおけるクラシック音楽初体験を終了した。

 興奮のうちにホールを去り、地下鉄ウォータールー駅から乗車し、チャリング・クロスとピカデリー・サーカスを経てオックスフォード・サーカス駅で下車し、そこからは徒歩で深夜のハーレム・ホテルに帰着した。

 夜11時過ぎまで心配して寝ずに待っていてくれた当日同室のO氏に感謝した。