人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋

初の海外旅行【37】スイス訪問(2)シヨン城観光編

 スイスは世界中の人々が憧れる観光立国である。ジュネーヴ空港に降り立った瞬間から豊かな自然景観が眼前に展開したのを覚えている。観光地見物として特別に予定した所は無かったが、許されたスケジュールの中で景観の一端に触れることが出来るであろうと期待していた。ところが思わぬハプニングの出来でレマン湖畔を巡る半日観光が実現した。

 1970年11月4日ジュネーヴのホテルド・ラ・ペに到着しチェックインを済ませた時にコーディネーター先生のもとに若い日本人男性が訪ねて来て面談した。市内の時計店に勤めるの客引きセールスマンで、我々滞在中に時計店に買い物に来てくれることを条件にマイクロバスでシヨン城まで観光案内をするという話を持ち込んで来た。

 団員の殆どがスイスで時計を買う心づもりでいたので申し入れに賛同して即刻バスに乗り込んだ。時間は午後の3時頃であったと思われるが、シヨン城がどんなところか、どのくらいの時間がかかるのかも分からずのままで出発した。レマン湖を右に視て快走したが紅葉した山々を越えて白銀の雪山のコントラストが美しく、広い箱庭の中を突っ走るような快感を覚えたドライブで、やがてオリンピックの建物のあるローザンヌを通過した。レマン湖の北岸に至ると道が狭くなり崖が迫って樹木が垂れ下がっていたが次第に建物が多くなり趣きのある街並みに到着した。湖東に位置するモントルーという街であった。

 下にレマン湖の地図を掲出した。目指すシヨン城はモントルーを通過してすぐの湖岸に突き出るように位置していた。

f:id:karisato88:20210101134934j:plain

レマン湖 左下ジュネーヴから右奥シヨン城まで直線距離約70キロ、迂回距離約90キロ

 シヨン城の歴史は古く、12世紀に地元の領主によって整備されて以来のレマン湖岸の要衝で、16世紀にはスイス宗教改革者のフランソワーズ・ボニヴァルが幽閉された監獄としても有名である。イギリスの詩人バイロンの「シヨンの囚人」で知られる悲劇の場所であるが、自然の中に佇むその美しさが又素晴らしいことなどを紹介されながら湖畔の古城に到着した。

 他の観光客の姿はなく簡単に城内に入れたが、時間が遅かったためか展示品室や居住区には入れず城壁内部の戦闘区分の見学だけで終了し外に出た。日は西に傾きかけていたがせめてもの記念にと湖面際を廻り込み、城壁の夕景を捉えてカメラに収めたのが下の左側に掲出した写真である。西に沈む夕日に暗い影が僅かに城壁を映し出し見えない湖面を思わせる構図は撮影者だけの若き日の感傷である。

f:id:karisato88:20201231162743j:plain
f:id:karisato88:20201231162700j:plain
黄昏せまるシヨン城の外壁と12世紀以来の優美な姿を湖面に落すシヨン城

 時計セールスマンの思わぬ誘いで実現したシヨン城に別れを告げ一路ジュネーヴに帰着した時は、遅い夕食タイムを迎えていた。全員打ち揃ってレマン湖と反対側の新市街へ繰り込みレストランを捜し歩いた先に目に留まったのは中華料理の懐かしい店構えであった。

 ウィーンを出発する時、空港への道すがら郊外の公園(映画第三の男で有名)などの見物をしてきたので午前午後2回の観光見物となり疲れも溜まっていた。その分を美味しいワインと久し振りの中華の味で潤して明日へに英気を養った。