1970年の秋
初の海外旅行【39】イタリア訪問(1)ローマ到着
1970年11月6日(金)12時25分スイス・ジュネーヴ国際空港を離陸してヨーロッパ最後の訪問国イタリアに向けて飛び立った。搭乗機はアリタリア航空AZ409便でチューリッヒに途中寄港する。日本出発以来各国の航空会社を乗り継いできたが、日航、スカンジナヴィア航空、サヴェナ航空、エールフランス航空、ルフトハンザドイツ航空、ブリティッシュエアウェイズ、オーストリア航空と国毎に特徴ある飛行機に乗ってきて今度が9番目のアリタリア航空であり、ローマの次のイスラエルまで地中海を横断する。
ジュネーヴ国際空港は折からのチューリッヒ空港におけるハイジャック発生で厳戒態勢で離陸したが、アリタリア航空の機内は至って平穏でスティワーデスもイタリア人特有の陽気な態度で乗客サービスに徹していた。機長も同様で、飛行中コックピットのドアが開け放しでスティワーデスが自由に出入りしており、我々客席から操縦席を通してフロントガラス越しに空が見えるなど驚きのフライトであった。
チューリッヒに向かう機中からの眼下に広がるアルプスの光景が美しくカメラに収めたのが下の写真である。
眼下のスイスアルプス大氷河・アリタリア航空機中より
1970年11月6日(金)午後5時、ヨーロッパ最後の訪問国イタリア・ローマのレオナルドダヴィンチ空港に到着した。公式訪問国としては8番目でいよいよ旅行も最終段階に近付いていた。ローマでは公式会議も設定されているが、何といっても2000年の歴史を持つ永遠の都ローマをはじめ古代史に満ち溢れた観光・見学の都市である。日程的にも4泊で名所旧跡を訪ねる事が可能であるように組まれていた。
例によって空港で通貨の両替を行ったが、リラ紙幣を受け取った途端に団員各位から笑い声が飛び交った。紙幣のサイズが大きすぎて札入れに入らない。ご存知米ドルは小さいサイズで収納便利であり、やや大きなイギリス・ポンドも、又西ドイツ・マルクやフランス・フランも日本の財布に収納出来たが、イタリア・リラばかりは巨大すぎて折り曲げて入れるしか方策がなく始末が悪かった。
イタリアはインフレ渦中でリラの価値も訪問国中では一番低く、1リラ=58銭(ドル換算は0.016)であったため受取り額面が膨大で一瞬大金持ちになったような錯覚に陥った。紙幣は使い切ったため見本が無いが10リラのアルミ硬貨(5円80銭)を記念として持ち帰ったので下に掲示した。
イタリアの通貨10リラ(5円80銭)直径24ミリ
ルネサンスの巨人レオナルドダヴィンチの名前を冠した空港に感激のうちに到着し、遂にローマにやって来たという実感を得たのが市内に通ずる街道脇に植えられている松の木との邂逅であった。世に名高いローマの松の並木が眼前に展開した。
イタリアの作曲家レスピーギの代表作ローマ三部作の一曲である「ローマの松」が私のローマ観の根底の一つにあり、イメージを蓄えてローマにやって来た。
バスの車窓から眺めるローマの松に限りない愛着を感じつつシャッターを切ったのが下の写真で、私のローマ到着の宣言であった。
ローマの松・レオナルドダヴィンチ空港から市内に向かう街道で写す。
1970年11月6日・ローマ到着