1970年の秋
初の海外旅行【30】ドイツ訪問(9)フランクフルト・その1
フランクフルトのスプーン(1970年10月30日購入)
冷戦下の東西ベルリンへの衝撃訪問を終え、1970年10月29日(木)19時05分テンペルホーフ空港をテイクオフして西ドイツへの帰路についた。向かう先はフランクフルトである。当夜の航空会社はやはり戦勝4か国のうちのエールフランス航空で思わぬ空域でフランス語の案内が飛び交った。往路のような超低空飛行でなかったのは行き先がソ連圏ではないからであったと思ったが、その分緊張感もなく1時間のフライトで定刻にフランクフルト空港に着陸した。
すっかり暗くなった広い空港通路を抜けロビーに出た所で日本出国時から頭の片隅に仕舞いこんでいた一つのチャンスにチャレンジした。数年前まで同じ会社に勤務し同じ趣味で音楽鑑賞活動に参加していた或る女性がウイーンフィルの日本来演を機にクラシックの本場であるドイツ・オーストリアに憧れ、遂に自分も移住し、その後ドイツのルフトハンザドイツ航空に就職したという噂を同僚女性らから聞いていた。事実関係を確かめた訳でもなく、また勤務している場所も全く分からない状態であったが、フランクフルト空港は西ドイツ一番の国際空港であり、ドイツを代表するルフトハンザ航空の本拠地である。
日本人女性社員の存在はまだ珍しい時代であるので分かるのではないかと考えて、団長の了解を得た後に思い切ってルフトハンザ航空のカウンターに全員で立ち寄り、カウンター・レディに日本人K嬢の在勤存否を聞いてみた。何と彼女は空港の職場仲間として知れ渡っており、すぐにその日の勤務場所に電話をかけて私に取り次いだ。
電話口で私が名乗ると懐かしい声で〝えー!!・流郷さん? すぐ行くからそこで待っていて下さい!〟と叫んで受話器がカウンター・レディに戻された。
待つ事10分程か。ルフトハンザ航空の黄色の制服に身を包んだK嬢が颯爽と現れた。5年振りぐらいであろうか、嘗て同じ会社で働いていた頃とはすっかりイメージを変えた国際女性が目の前の表れて私をはじめ団員一同偶然の出会いに驚いた。懐かしさを込めて来訪の目的を知らせ互いの健康と活躍を祝福したあと、私の公式日程スケジュールと睨み合わせ、彼女から明後日は夜出勤で夕方出勤するまで時間が空くのでその間のデートを打診され、団長以下仲間の承認を得て喜んで受け入れた。50年前の事ではっきり覚えていないが、午後3時半ごろにマイン川畔にあるルフトハンザ航空オフィス玄関が待ち合わせ場所であったと記憶している。
ヨーロッパ旅行の途中で奇跡のような出会いに胸がときめいた後、一同揃って空港からタクシーに乗り込み当夜の宿泊地ホルストハウス・グラベンブルックという難しい名前のホテルまで夜のフランクフルト郊外を疾走した。
フランクフルト郊外に建つホルストハウス・グラベンブルック・ホテル
高級リゾートホテルで宿泊費が高く、予算10ドルを遥かにオーバーした。