人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋

初の海外旅行【43】イタリア訪問(5)公式会議とカタコンブ見学

f:id:karisato88:20210116092813j:plain
f:id:karisato88:20210116092835j:plain
イタリア労働連盟CISLでの会議風景とランチタイム

 1970年11月9日(月)、週明けとなりイタリアでの公式行事である会議が設けられていた。相手側はイタリア労働連盟CISLで議題はこれまでと同様の公害問題と労使関係の意見交換・情報交換であった。既に西欧先進諸国で会議を進めて来ていたので問題点の共通意識が通じ合い和やかなうちに進行したが、南欧という地域特性からか、いずれの問題も対策遅れが目立ち、特に大気汚染についての関心度がまだ低いのが感じ取られたと記憶している。具体的にはローマ市内における遺跡に対する汚染対策が不十分ではないかとコロッセオなどの管理状態を見ての感想が残された。

 この会議を以ってヨーロッパでの公式会議を終了した。あと1ヶ国イスラエルへの訪問が残っていた。第三次中東戦争が終わって間もないため訪問の可否が日本出発時には未定であったが、ウィーン滞在中に入国許可が知らされて明日ローマからイスラエルに向けて出発する。ヨーロッパ最後とイスラエル訪問決行の気分盛り上げで市内のレストランに赴き盛大にランチを楽しんだ。

 午後にはローマ郊外のカタコンブを訪れた。初期キリスト教布教時代の信者の地下集会礼拝場である。暴君ネロによって弾圧された信者が潜んだ洞窟として2000年の歴史を今に伝える遺跡でとしてあまりにも有名である。

 ポーランドの作家シェンキェーヴィチの小説「クオ・ヴァディス〈主よ、何処へ〉」の舞台として知られ、またロシア5人組の作曲家ムソグルスキーの名曲「展覧会の絵」の一曲〈カタコンブ〉の旋律は真に迫る雰囲気を発している。期待を胸に一同小型バスで アッピア街道を通って現地に到着し、今も残る地下の礼拝場で当時の信仰と信者の苦難に思いを馳せて瞑想した。下はその時に写した記念写真である。

f:id:karisato88:20210116092728j:plain

     ローマ郊外の初期キリスト教遺跡・カタコンブにて