人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋【13】

初の海外旅行【13】イギリス訪問(1)

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 ブリュッセル空港からサベナ・ベルギー航空でイギリスへ

 1970年10月17日(土曜日)11時20分、ブリュッセル空港からイギリスに向けて飛び立った。

 上の写真が搭乗したサベナ航空の飛行機である。今回のヨーロッパ訪問では移動は全て飛行機で11回搭乗する。日程順に日本航空スカンジナビア航空、サベナ航空、エール・フランス航空、ルフトハンザ航空、ブリティッシュ・エアウエイズ、エール・フランス航空、オーストリア航空アリタリア航空、トランス・ワールド航空、日本航空の順で航空会社も9社に及びお国も機材も多様であった。

 航空会社はそれぞれ国を代表する交通機関で、空中に飛行中も国の分身である。

 一見同じような機内も搭乗するとその国のお国柄が充満し雰囲気も一変する。

 第一が言葉で機内アナウンスが母国語が主体となり、英語が補助となる。乗務員との会話は英語であるが、発音やイントネーションに違いが見られお国柄が滲み出てくる。

 更に乗務員の所作・立ち居振る舞いにも国民性が表れるとともに、提供される食べ物、飲み物にも特色が表れるなど、飛行機はお国のショウ・ウィンドウであり、訪問国の航空会社であれば搭乗した瞬間から相手国の雰囲気に浸ることになる。 

 

 サベナ航空はベルギーの航空会社であるからイギリスの雰囲気を機内で味わう事は無かったが、2度搭乗した厳格なスカンジナビア航空に較べると機内の案内、規律が緩やかで何となくローカルな気分を感じたフライトであった。

 時差が1時間あり、ロンドンのヒースロー空港に午前11時に着陸した。この間に機内食が出たのは勿論で、第3の公式訪問国イギリスに入国した。

 例によって通貨の交換をしたが、イギリスは伝統的な金融王国で嘗て世界を支配したポンドが衰えながらも対面を保ち世界の主要通貨として生き長らえていた。

 空港バンクでは紙幣主体の交換であったが、翌日2階バスに乗車して釣銭に貰ったのが下に掲載したコインである。(一部)

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上の写真が1963年発行の6ペンスである。サマセット・モームの小説「月と6ペンス」で知られた通貨である。

下の写真が1969年発行の新50ペンス硬貨である。7角形のコインは珍しい。表面は共にエリザベス2世(現女王)である。

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 イギリス通貨制度の仕組みは誠に複雑である。

基本通貨のポンドの下にシリングがあり、更に補助通貨ペンスが広く一般に流通する。

 1970年当時、12ペンスが1シリングで、20シリングが1ポンド、という12進法と20進法の2階建て構造が続いていた中で、複雑さ解消のため補助貨幣ペンスを10進法にした新ペンス(ペニー)を併用する政策が進められていた。

 掲出した下の7角形コインが10進法になった50新ペンスでNEWの刻印が打たれている。

 因みにレートは米ドルに対し2・40で、1ポンドは日本円で864円であった。

 バス車内で車掌から受け取ったコインの種類の多さと単位の複雑さに団員一同呆れて笑いが発せられたほどであったが、嘗て日本の江戸時代における通貨制度(250文が1朱、4朱が1分、4分が1両=4000文)を思い出しながら、ヨーロッパ主要国がユーロ化した現在でもポンドを守り続けているイギリス通貨の歴史的な自負感を痛感する。