人生の軌跡・流郷松三郎の残思録

米寿に想う我が人生

1970年の秋【7】

初の海外旅行【7】ヨーロッパ大陸到着

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 海外旅行では当然のことながら日常生活の環境が激変する。

 その三大要素を挙げれば第1が言葉で、第2が通貨で、第3が食事となる。何れも避けて通れない必須要件で、それぞれにどう対処するかは本人の資質や性格によって大きく変わってくる。先ず言葉は英語が堪能であれば意思疎通に不自由しないが、多くの日本人は片言の英会話程度の語学力しか持てず通訳に頼る事でその場を切り抜けるのが普通である。第2の通貨交換は当事国での消費行動に絶対不可欠な要件であるため本人責任の行動となるが少なからず面倒が付き纏う。それに比べて第3の食事は先進諸国であるかぎり選択の自由もあり順応することが比較的容易である。

 今回の西ヨーロッパ視察団には専属の通訳が同行するので、個人行動は別として言葉の心配は無用である。

 問題は通貨で全行程36日間で11ケ国を訪問するため、国境を越える毎に交換が必要であった。

 1970年当時はまだ共通通貨ユーロは誕生しておらず、西ヨーロッパ諸国は国家の大小を問わず自国の通貨を使用する伝統的流通政策が続けられていた。

 世界の基軸通貨が米ドルであり、いざとなれば各国での使用も可能でありまた主要国では日本円も通用するが、滞在時の通常購入にはどうしても当事国通貨が必要である。

 そのため団員全員は米ドル建ての旅行小切手(トラベラーズ・チェック)を用意し、入国時に空港の銀行で予定額を当事国通貨と交換し、出国時に使い切るか或いは次訪問国の通貨に切り替えるかの方法でヨーロッパ諸国を渡り歩くことに相成った。

 冒頭に米ドル硬貨と共に当時に為替レート一覧表を掲示した。

 各国の単位通貨に対する日本円と米ドルとの交換比率が記入されている。

基本は米ドル1ドルに対し日本円360円のレート設定による固定為替相場制である。

 訪問する西ヨーロッパ各国交換比率も細かく設定されているが、殆どは米ドルとの交換比率で各国で交換されていた。

 実際の交換作業では単位通貨だけではなく補助通貨も多く混ざって授受されるので、名称も含めて理解するのが難しく、使用には戸惑った。

 一方で通貨はその国の経済文化の象徴である。通貨交換は確かに面倒を伴うが通貨には国家の伝統と国民生活の歴史が刻み込められている。訪問者にとっては訪問国を理解するための貴重な品物でショーケースには並ばないが記念品としての価値が十分にあると考えた。

 幸い最初の寄港地アンカレッジの売店で貰ったお釣りの50㌣硬貨(1965年発行)も手元に残しているので、デンマーク以降の通貨についても記念に残しておこうと考えた。

 下は10月11日・日曜日の早朝、コペンハーゲンの飛び入り観光の際に土産物店でスプーンとポルノ雑品を購入した時にお釣りで貰った小銭の端くれで、25オーレ硬貨(日本円12円相当)である。

 なお、デンマークの単位通貨はクローネで、1クローネは48円で、補助通貨として100オーレとなっている。

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